Experiment Künstlerehe『芸術家の結婚の試み』という看板が掲げられているライプツィヒのシューマンハウス。
理想の夫婦として語られることの多いシューマン夫妻、ロベルトとクララ。裁判などを乗り越え、ようやく結婚。最初に住んだライプツィヒの自宅はシューマンハウスとして開放されています。
ここでロベルトは数々の名作を生み出しています。クララが初めて行ったリサイタルもこの家でした。
シューマンハウスでは、当時の資料を揃えており、音楽家同士の結婚の理想と現実が垣間見えてきます。今でこそ、大作曲家として名高いロベルトシューマンですが、当時はピアニストの夫として従属的な立場に置かれていました。
簡単にいってしまうと、シューマンは奥様のクララを溺愛、奥様はその愛を受け止めるのが精一杯という感じの構図。
人はすべてを所有することなどできない...
なら、クララが喜ぶような名曲を書きたい!!
と、その一心で名作が生まれたのです。
その名作のひとつに、ピアノ五重奏曲があります。これは私もN響メンバーと共演した思い出深い曲ですが、シューマンの溢れる情熱と幸福を感じることのできる作品です。私は丸1年かけて取り組みましたが、クララは完成から約2ヶ月ほどで初演しています。(当時の自筆譜は読みにくかったと思います。)
母となったクララ、身体にも大きな負担があったことが想像できます。育児との両立で、二人の間には緊張があったことも伺えます。しかし、クララは、絶大なる尊敬すべき人物として、シューマンの才能に惚れ込んでいました。幼い頃から互いに日記を付け、それをひとつにし、朗読したり、コメントを書き加えたりしながら愛を深めていった記録などはなんと微笑ましいこと。芸術家として互いの理想的なパートナーであったことは間違えありません。
結婚後、シューマンはクララとともにバッハ『平均律クラヴィーア曲集』を研究し、それが終わると、ベートーヴェンなどウィーン古典派の弦楽四奏を勉強したことも記録されています。
シューマンがライプツィヒに来たのは1828年、ライプツィヒ大学法科への進学で来ましたが、ここで人生の華を咲かせたことになります。ライプツィヒに来る直前(高校卒業時)、友人に宛てた手紙は希望に満ちたもので、これは当時の音楽にも現れています。
〜シューマンの手紙文〜
「学校はいまや背後となり、眼前には世間が広がっている。これで学生生活も終わりだと思うと涙を禁じ得ない。とはいえ、悲しみよりも喜びの方が大きい。今こそ、真実の魂が前へ進み出て、その何たるかを世に示す時である」
(引用wiki)
↓こちらは現在のライプツィヒ大学です。
↓シューマンピアノ五重奏曲
この演奏は本番の演奏です。少しテンポが遅いと思っておりましたが、ライプツィヒへ行ってみたら、このテンポ感でもいいと思えました。
特に終盤にかけて、シューマンの希望が溢れています。
建物内の階段は、当時のままと思えるほど古く歪んでおり、このような急な階段を使っていたと思うと妙にリアルな生活感が想像できました。😆
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